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[特集]世界移植者スポーツ大会in神戸
移植者でありながら、世界移植者スポーツ大会が今回の日本大会を迎えるまでその存在を知らずにいた。本誌との出合いがきっかけとなって、世界中から移植者が集まるスポーツ大会が今回、復興を遂げた神戸を舞台に行われることを知った。そして運良く本誌のカメラマンとして、また一選手として参加することができた。
予想を遥かに超えた華々しさの開会式。僕は日本人選手としてではなく、多くのメディアと共にそれを撮る側にまわった。歓声の中、各国の選手に続いて、いよいよとりを飾る日本選手団の入場をカメラを通して見ていた。
世界大会と言いつつもその多くは運動会のようなモノだろうと思っていた僕にとって大会内容はかなりの驚きだった。本気で何かを出来ることが何よりも元気である証しだと言うことを示すように喜んだり悔しがったり、それを見るのは本当に良い気分だった。大人も子供も人種も関係なく、みんながそれぞれの種目で目を輝かせていた。
その一方で、僕の中には大きな葛藤が存在していた。移植者である自分が移植者である人を撮る。それが今回僕の大きな利点のはずだった。他のどんな報道の人達よりも理解し、互いの距離を埋められると思っていた。けれど実際その距離がどれくらいのものなのか、あるいはそれ自体有るのか無いのかということさえも分からなくなってしまっていた。メディアであると同時に選手である自分の存在に混乱していたのだ。心から再会を喜び、競技を楽しむ人達を撮影しながら、カメラマンにも選手にもなり切れないという思いが膨らみ、同じ選手である人達が遠く思えた。
だがそんな迷いを振払ってくれたのが選手として出場した幅跳びだった。残すところあと2日間となり陸上競技が始まる朝、やはりゼッケンと一緒にカメラバッグを担いで会場に向った。プレッシャーを感じつつ、砂場の先に構える多くのカメラ陣に向かって跳んだとき、何かが少し軽くなったように思えた。計3回、本気で跳んだ。
今こうして考えてみると本当に良く分かる。移植者を誰より意識し区別していたのは、移植者の僕だった。選手も帯同者もボランティアの方も皆、人と人として接していたんだなあということに気付く。またドナーファミリーの方も神戸の街も僕らの存在を理解してくれていたんだなあと感じる。
僕は母親に2度、生命を貰った。常に生かされていることを意識している。だからこそ本気で生きて行きたいと思っている。次の大会も参加したい。そして出来ることならまた写真を撮りたいと思う。今は大会を通じて出会えた全ての人達に感謝したい気持ちで一杯だ。
吉江 淳
(よしえ あつし)
高校時代、iga腎症(慢性腎炎)発症。97年8月、病状悪化で慢性腎不全となり、透析開始。98年2月、母親からの生体腎移植を受けて職場復帰。2000年8月よりフリーのカメラマンとして活動中
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「贈られた生命への感謝、そして、私自身の夢のかたち」
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