日本では、脳死からの臓器移植が法的に認められないが故、海外に臓器提供を頼らざるを得ない状況に、私達日本人は大変心苦しく思っているということ。1日でも早く脳死が法的に認められ、国内で移植が行なわれるように私達も努力していくということ。それを多くの人に理解してほしかった。移植先進国である南アフリカ出身の英会話の先生とも移植について多くの議論を重ね、助けもあってやっとの思いで原稿をイギリスに送った。
マンチェスター大会は、世界35カ国から千人を超える移植者達が参加していた。そのうちの28名は私を含め腎臓、肝臓の移植を受けた日本選手である。開会式の後、市庁舎での立食式パーティー。いろいろな国の選手が入り交じって話をしているのがとても楽しそうで、つい仲間に入ってしまう。言葉がわからないとTシャツをめくって手術の跡を見せ合う披露パーティー!?考えてみれば、皆同じような傷を持った者の集まりで、可笑しくなってしまう。そこで、私は市の評議委員である英国婦人と出会った。出発前に読んだ「イギリスにおける移植医療の夜明けーベン・ハードウィック物語」(THE STORY OF BEN HARDWICK)ー肝臓移植を必要とするベンと言う少年の物語ーについての私の感想に耳を傾け、私が書いた原稿も読んでくださると約束していただいた。うん、まずまずの滑り出しである。
さて、メインの競技のほうは 卓球とボール投げにエントリー!移植してから息子の通う小学校のPTAソフトボール部に入り、元気に走り回っていた私にとって、卓球なんてお遊びのようなものよと挑んだ初試合。タイの立派な体格のお姉様相手に楽勝と思ったのもつかの間、知らぬ間に負けていた。応援してくれた息子の一言「おかあさん、かわいそう。」その日は、1勝2敗で日が暮れて、ボール投げは日程の都合でキャンセル。私にとってのスポーツ大会はこれで終了。あとは交流だ!カナダの人、アメリカの人、みなさんとても気さくに話し掛けられ、お互いの臓器に思いやり、健康を称え合う。どこの会場でも微笑ましい交流が広がっていた。マレーシアの二人組のお姉様は、胸にもう金メダルをぶら下げている。バトミントンで優勝したらしい。このメダルでさらに話の花が咲くのだ。もう、楽しくてしかたがない。息子もいろんな国の人にバッチをもらったり、帽子をもらったりと国際交流していた。主人は、カメラとビデオを抱え、家族それぞれがこの大会を楽しんでいた。
バスツアーでは、息子さんが肝移植をして二人で参加しているアメリカ婦人マリーと仲良くなった。。アメリカの医療制度、州によっての取り扱いの違い、いろんな問題を抱えてはいたが、息子さんへの愛情の深さととても明るい表情にアメリカの母としての逞しさがあり、とても魅力的だった。彼女にあの原稿を手渡すと、じっくりと丁寧に読んでくれて、微笑みながら一言「Good Work!」…・もう嬉しくて嬉しくて思わず彼女を抱きしめていた。
初めての世界移植者スポーツ大会。多くの出会い。このために準備してきたことや患者会や講演会での勉強、これらすべてのことがつながり、これからの私の移植者としての人生の方向が定められたように思った。拒絶反応、合併症…移植者としての不安は尽きないがそんな中で見つけた唯一の目標! いつまでもこの大会に参加し続けたい。そのためには元気でいたい。こんな素晴らしい体験を、腎臓をくれた母に早く報告して今度は一緒に参加しよう。